天気:曇り 風:北~北東 波:1.5~2.5m 気温:30.5度(24.8度)

石垣島は曇りの天気です。
予報では「ところにより雷雨」なってましたが、市街地にいる分には時折シトシトした雨が降る程度でした。6月なので当たり前かもしれませんが、風が北に回った割りにはモワッとした蒸し暑い1日でした。

今日はカジマイで天気も荒れる予報だったのでロングステイのゲストさんにも中休みを入れてもらったのですが、お昼くらいに風が強くなりましたが思ったほどは荒れませんでした。なんか「休みにして失敗したかな?」って感じです(^^;)

今日から6月のスタートです。
今日はちょびが生きてたら17歳と11ヶ月の誕生日でした。

ちょびのことを書くと「まっちゃん、まだ引きずってるなぁ」とか(いらぬ?)心配をしてくれる人もいるのですが、ちょびの死を悲観したマイナスな感情で思い出してるのではなく、ちょびとすごした楽しかった時間を思い出しています。ちょびの死から半年以上が経過した今の心境は、ちょびと出会えたことや17年以上も同じ時間をすごせたことに感謝してるくらいなのであまり心配はしないでください。

思い出すってのも正確じゃなくて、思い出すとなると記憶を呼び起こすための努力も付随するニュアンスが含まれますが、そうじゃなくてちょびの記憶は自然に甦ってきます。日本語にはありませんが、ちょびとの思い出は思い出すではなく思い出るが正確な表現です。歌の歌詞っぽく表現すると思いが溢れるが正解です。

ちょびとは17年以上も濃密な時間を過ごしたので、ちょびとの記憶は自分の一部として身体に染み込んでいます。なので、思いが溢れてくるのが自分にとっての正常だと思ってます。どこにでもある漫画やドラマの「心の中で生き続ける」って安っぽいセリフもあながち間違ってないというか、センスのかけらもないセリフに共感してしまう自分もいます(^^;)

ちょびは生後1ヶ月で松永家に貰われてきました。
最年少者だったちょびがいつのまにか自分たちと同じ年齢になり、自分たちを追い越して松永家の最年長者になりました。それと同じように、子犬の頃はときには叱って躾をしてこっちが教える立場だったのが、いつの頃からかちょびから生きることの大切さを教わってるような気持ちになっていました。

元気な頃はなにごとにも全力投球で明るい気持ちにしてくれました。ちょびの全力投球な姿は、手を抜きながらダラダラとした態度で物事にあたることのかっこ悪さを教えてくれました。年を取って白内障で目が見えなくなってからもちょびは常に前向きでした。そんなちょびの姿は、落ち込んだり腐ったりしてることの無意味さを教えてくれました。

イヌの寿命は人間より短いです。これはちょびを飼いはじめるときから分かっていたことです。よほどのことがない限りちょびが先に逝くのが当たり前と思ってました。覚悟もしてました。でも、やっぱりちょびが死んだときはとんでもなく辛かったし悲しい気持ちも長引きました。

というと難しく考えてしまいますが、自分は息をひきとるときの一瞬がだと思っています。熱いものに触った瞬間や固いものにぶつかった瞬間と同じです。その後で「熱い」や「痛い」になります。ちょびが死んだ「悲しい」はその後の「熱い」や「痛い」と同じです。触れば熱くて当たり前、ぶつかれば痛くて当たり前です。逆に熱さや痛みを感じないほうが異常です。そして、程度の差はあれ「熱い」も「痛い」もじきに和らぎます。

生き物に限らず全ての物に寿命はあります。地球も宇宙もいつかは消滅します。死(寿命)を避けることはできません。ただし死は一瞬のものです。重要な出来事でもありません。サッカーでいうと試合終了のホイッスル、ボクシングだと12ラウンド終了のゴングと同じです。死とはホイッスルやゴングと同じく終わりを告げる合図です。なので、重要なのは死(合図)ではなく生き方(試合内容)です。少なくとも自分はそう思っています。

ちょびのことを思い出してしまうのは、死んだことではなくちょびが生きてたことに目を向けてるからだと思っています。

ちょびがダメ犬に育ったとしても「最期まで面倒みれるから」との考えから割りと甘やかして育てました。犬の躾の本とは反対のこともしましたが、ちょびは優等生ではないにしてもいい子に育ってくれたと思っています。少なくとも、自分たちにとっては従順で優しくてとてもいい子でした。

ちょび

ま 「ちょび捕まえた。」
ち 「耐えるです。」