石垣島の海で哲学的なことを考える。
もずく・海人ブログ2017年4月14日
天気:曇りのち晴れ 風:南東 波:2.0~1.5m 気温:26.3度(20.6度)
石垣島は曇りのち晴れの天気です。
南東の風が緩めに吹く暖かい1日でした。
昨日からもずくの収穫の後半戦が始まりました。
海の中もすっかり春で魚の数も一気に増えてきました。
もずくと一緒に吸い上げられた小魚。
数が増えると一定の割合で運の悪いヤツが現れます。
この魚の運の悪さを人間に例えると、
UFOから発せられた謎の光に吸い込まれて失踪する人?
まぁ、それくらい予測できない不運です。笑
「絶望的にツイてない。」
見つけたら海にリリースするので、
たいていは元気に泳ぎ去って一命は取り留めます。
まぁ、その後のことまでは知らないけど?
しかし、見落としてスルーした場合の運命は・・・
エラ呼吸できずに窒息死!
もしくは、もずくに潰され圧死となります(^^;)
強靭な生命力で二つの難を乗り切っても・・・
塩漬けの拷問死!
さらなる過酷な運命が待ち受けています。笑
これって人間だと最上級に報われない死にかただと思います。
でも、魚類なので心が痛むこともなくゴミとして処理してます。
命の重さは同じはずなのに( ̄- ̄;)
っていうけど、命の重さは同じなのか?
人間と小魚の命を同列に扱ってるとは思えないし、
虫の命なんてもっと粗末に扱われてます。
いやいや、ちょっと冷静に考えてみると・・・
人間の命だけが甘やかされてない?
まさにこれです。
まぁ、例外的にクジラとかイルカとかオランウータンとか知能レベルが高いと判断されてる生物や絶滅に瀕した生物は大切に扱われたりもしますが、人間の命の扱われ方とは一線を画しています。
社会を構築する上で他者の生命を尊重しなければならないのは分かります。
暴力や殺人が横行する社会では安心して暮らせないし文化や経済も発展しません。生命は尊重されるべきです。ですが、命という概念的な物に固執して考えるとこのブログのような矛盾(偽善?)も生じてしまいます。そこで尊重されるべきは命という概念ではなく生きるという行為こそが尊重されるべきことだと思います。
懸命に生きることが大切であり懸命に生きることを阻害する行為が悪です。命を奪うことは許されないことではなく、そのもっと奥にある懸命に生きようとする意思を絶ってしまうことが一番の罪だと思います。
窒息死であろうが圧死であろうが拷問死であろうが家族に看取られた一見幸せそうな死であろうがどんな死にかたをしても死とは報われないものだし、逆にどんなにクズな生き方だったとしても生とは報われるものだと思います。
命の重さの先には生きる権利という言葉が見え隠れしますが、権利なんて主張するのは甘っちょろい生き方をしてる人間だけで、野生に生きる生き物は権利より義務に近い気がします。